幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

聞き手:中村 義裕(演劇評論家)

 
 
第九回「菊づくり菊見るときは陰の人」
平さんが愛したお店の あるじ夫妻

 
このコーナーは、平さんとゆかりの深かった方々に、さまざまな想い出をお話いただくコーナーです。

 

 
「あるじ」と「おかみ」の無私の愛情も、平さんには大きな支えの一つだったのだろう
 


−今回は、今までとは趣向を変え、演劇の世界の住人ではない方にお話を伺いました。平さんが晩年近くにその味とあるじご夫妻の人柄を愛し、足しげく通われたお店のあるじ夫妻。今までのこのコーナーでも、こちらのお店を何度も使わせていただいています。
ご希望により、お店のお名前を出すことはできませんが、飾らない温かい人柄のご夫妻が、平さんの日常生活の重要な「食」を担っておられ、無私の愛情が伝わりました。
 冒頭の句は、作家・吉川英治のものです。大輪の花を咲かせるために「陰の人」として平さんを愛し、最高の舞台に貢献したご夫妻です。
 
―「光陰矢の如し」とは言いますが、平さんの一周忌もすみ、間もなく一年半が過ぎようとしていますね。
 
あるじ:私もようやく普通に戻りつつありますが、やはり喪失感は大きいですね。「今、平さんは何をされているんだろう。最近見えないな」と、わかってはいても思ってしまう時期が続きました。自分の中で、どこかで折り合いをつけなくてはならないんですけれど。
 
−親戚でもないのに、それほど大きな喪失感を与えてくださるような方に会えた、という幸せも大きいですね。滅多にある出会いではないからこそ、その喪失感も大きいのではないでしょうか。
 
あるじ:そうでしょうね。有名な俳優さんだから、ということだけではなく、「料理人」としての仕事の仕方や考え方を、無言のうちに教えていただいた感覚はありますね。
 
−忙しく立ち働いている姿を「見られている」とお感じになったことはありますか?
 
あるじ:ありますね。カウンターの構造上、手元は見えないのですが、今、何をしているのかをご覧になっていたことはありますね。最初は緊張感がありましたけれど、なるべくいつも通りにやろう、と心がけました。そのうちに、「この人のために一生懸命やろう」という気持ちに変わって行ったんです。それは、「平幹二朗」という有名な俳優さんだからではなくて、文句をおっしゃるわけではありませんが味にも厳しいし、「もっと先へ行けるんじゃないの?」という宿題を無言のうちに出してくださっているような気がして。それが、私にも刺激になったということですね。料理人としては、「張り合い」のあるお客さんでしたね。実際によく召し上がりましたし。
美味しい物を食べることが大好きでしたが、それだけではなく自分の身体のために何を食べたらよいのか、ということも考えておられましたね。それが「食」に対するこだわりだったのではないでしょうか。
 
−その刺激を感じられなくなってしまったのは残念ですね。ただ、美味しい食事と会話を楽しみ、満足された顔でお店を後にする平さんをご覧になるのは、満足だったのでは?
 
あるじ:そうですね。いかに満足していただくかという工夫をするのが、充実したところでもありますからね。
 料理の仕事って、することは毎日同じでも、お客さんは毎日違うんですよ。どの料理でも、「今日はこれでいいや」という日はなくて、毎日、全力投球でしなくてはならないところが、失礼な話かもしれませんが、演劇との共通したところなのかもしれませんね。
 
−そこまで考えて「身体を管理してくれる」という意味では、お医者さんと同じですね。
 
あるじ:病院の健康診断の結果が良くて、「どんな食生活ですか?」って聞かれたのが嬉しかった、っておっしゃっていました。そういうことを伺うと、「少しはお役に立てているのかなぁ」と思いますね。地方公演で出られる時も、食べ物のことを気にしておられました。
 
−芝居が巧い役者さんは、美食家が多いような気がします。五感を働かせなくてはなりませんからね。それが、「こだわり」につながったのでしょうね。ところで、最初はどのようにしてこのお店へ見えたんですか?
 
おかみ:近くのマッサージさんにご紹介されたのですが、あいにく、その時は満席で。にもかかわらず、席が空くまで待っていてくださいましたね。とてもお洒落で、物凄いオーラを放っておられましたよ。お客さんたちも「あっ」と感じるぐらいに。
あるじ:いつも素敵な格好でお見えになって、「ファッショナブル・ジジイだろ」っておっしゃったことがあります(笑)。ただ、オフの時はTシャツ一枚で見えたりしていました。初めて見えたのは2008年に上川隆也さんと一緒に出られた『その男』の頃ですから、もう10年近く前になりますね。
最初はそれほど頻繁ではなく、いくつもある「行きつけ」のお店の中の一つに加えていただいたのかな、という感じでした。ただ、バランスのいい食事を求めておられたので、和食、という点が嗜好に合ったんでしょうか。
 
−カウンターで平さんを目前にして料理を供されていると、日々のコンディションの違いなどはわかるものでしょうか?
 
おかみ:そうですね。仕事のスイッチがオンになっている時とオフの時で、一番わかりやすかったのは、オンの時はお酒を一滴も召し上がらなかったことでしょうか。台詞を覚えたり、芝居について考えたりと、集中されている時は我々も一切話しかけませんし、何を考えていらっしゃるのか、フワーッとしておられる時もありました。
 
−そういう時は召し上がる物は違うんですか?
 
あるじ:仕事モードの時は、お酒が飲みたくなるような物は避けて、栄養のバランスを考えて、魚、肉、野菜をまんべんなく召し上がっていましたね。俳優さんって、身体を酷使する職業ですからね。私の料理が、こんなに素晴らしい芝居をする肉体を維持する糧に少しはお役に立っているんだと思うと、舞台を観ていて光栄でしたね。
おかみ:平さんは、お芝居で全国各地へ出かけておられるので、美味しいものをよくご存じでしたよ。こちらが教えていただいたこともありました。
 
−そうして通われているうちに、お二人に対しては余計な言葉を言わなくても、汲み取ってくれる、という安心感が生まれたのではないでしょうか。
 
あるじ:そうかもしれませんね。その時の体調が、予約のお電話でもわかりましたし。
おかみ お芝居で喉の調子が悪い時には、デザートにのど飴を添えて差し上げるとか、そんなこともしていました。お客様としてもとても紳士的でしたから、つい何かをしてあげたくなってしまうんですね。でも、時々お茶目な部分も見せてくださったりして。それで人を驚かせて楽しんでおられました。
 
−リラックスできて、気を遣わずにすむ空間だったんでしょうね。
 
おかみ:いつもお座りになるカウンターの席の横に、私が読んでいる本を何冊か置いていたら、月の写真集に興味を示してご覧になっておられたことがありました。それ以来、何となくご興味のありそうな本を置くようにしたんです。映画関係や美術書がお好きだったようですね。そのうちに、『これ、凄くいいね。今度、取り寄せておいてくれないかな』って、何冊か頼まれたこともあります。
あるじ 時として、食事も忘れて読んでおられる時があって、のめり込み方が凄いですね。私たちができるのは料理を提供することだけですが、イマジネーションやクリエイティブな部分でも少しはお役に立てていたのならいいのですが。
 
―ところで、お芝居への興味は以前からおありになったんですか?
あるじ:興味はありましたが、自発的に出かけよう、ということはなかったですね。観に行くようになったのは、平さんと出会ってからです。
おかみ:それからは、平さんの物は全部観たいという気持ちになって古い映画を借りて観た話をすると、「あぁ、あの時はね」と、まるで昨日の出来事のように鮮明に覚えておられました。凄い記憶力だと思いました。
 
―最初にご覧になった舞台は何でしょう?
あるじ:『その男』から、2016年の最期の舞台になった『クレシダ』まで、東京での舞台は拝見しました。
 
−その中で印象深かったのは何でしょうか?
 
あるじ:やはり『王女メディア』ですね。あれは二回見せていただきましたね。
おかみ 『王女メディア』の時は、お店に見えていても、完全に「メディア」でしたね。もちろん、普通の恰好なんですけれど、「ずっと怒ってるのは疲れるね」とおっしゃってました。役が憑依するとでも言うのでしょうか。『冬のライオン』の時は、お酒を呑む形が王様のような感じでしたし。
 ご自分が演じられる以外に、多くの映画や舞台もご覧になって、そのお話もしてくださいましたね。
 
−お二人は、舞台と日常生活に近い部分の両方をご覧になっているという点で、非常に珍しいお立場ですね。
 
あるじ:芝居で舞台に出られている時でも、身体がお辛いはずなのにそんなところは微塵も見せられませんでした。本当は絶対に疲れていらっしゃるはずなのに、かえって心配なんですよね。それで、舞台を観に行くと、「えっ!」と思うようなパフォーマンスを見せられて。「ここでいい」というところはないのでしょうけれど、「どこまで行けるんだろう」と思いました。
 
−最後の頃には、多くの言葉を必要としない関係になっておられたのではないですか。
 
あるじ:話さないわけではないんですが、間が気にならなくなってはいました。無理に話をしなくてはいけない、という事もなかったですし。言い方は適切なのかどうか、半分「家族」のような感じでもありました。それでも常に適度の距離感と緊張感があって、「馴れ馴れしくならない」のが良かったのだと思います。
 
−平さんには「甘えられる場所」だったのではないでしょうか。自分のリクエスト以上のことはしてくれるけど、自分に対しては要求されない、という。
 
おかみ:食事の合間にぽつりぽつりと語ってくださることは心の中に大切にしまってあります。私が、芝居とは関係のないところの人間だったから、少しは気軽におっしゃれたんのかもしれません。
あるじ 亡くなった時の喪失感も大きかったですし、今でも、平さんにこれを食べていただきたいなぁ、と思うことがありますね。
 
―何十回、何百回とこのお店での交流の中で、印象に残っている平さんの言葉や姿を教えてください。
 
あるじ:「今日はこれを食べようかな、どうしようかな」って迷う場合がありますよね。そういう時に、「明日、死ぬかもしれないから、これも食べようかな」って何度かおっしゃって召し上がっていたのが印象に残っていますね。
おかみ:平さんにいろいろな本をお勧めした中で、『怖い絵』シリーズをとても気に入ってらっしゃいました。その中のドラクロワの「メディア」がお気に入りで、最後の『王女メディア』の表紙に使う、とおっしゃってくださったんですよ。それが嬉しかったです。平さんのインスピレーションに少しはお役に立てたのかな、と。
 亡くなった翌年に、『怖い絵』シリーズの展覧会が上野であって、それを観に行った時は感無量でした。
あるじ:最後にお見えになった時、二時間ぐらい平さん以外にどなたもお客さんがいない状態になったんです。そんなことは開店以来、初めてで、その時は、昔の話や俳優座へ入った頃の話や、お父さんの話など、昔のことをいろいろ話してくださいましたね。
 
−それはいつ頃のことでしょうか。
 
あるじ:亡くなる前の日です。
 
―それは何とも凄いタイミングですね。
 
あるじ:「お別れ」ということではなかったのでしょうが、最期にゆっくりお話する機会を作ってくださったのかもしれませんね。
 
−これからは出ないタイプの役者さんかもしれませんね。
 
あるじ:飲食の仕事も突き詰めると、終わりがないんですよね。平さんは何もおっしゃいませんでしたが、「その先」を教えていただいて、鍛えていただきましたね。
おかみ:『クレシダ』の時にはお弁当をご用意していましたので、毎日二回は必ずお目にかかるんです。「ただいま」「行ってらっしゃい」という家族のようなやり取りが持てたのも嬉しい想い出です。
 
−同じ「職人」として、何かのバトンを渡されたような感覚はありましたか?
 
あるじ:あります。「これでいいのか」、というのを平さんは常にお持ちなんですよね。私も、自分の料理にスピリッツのようなものが常にあって、「これで終わりじゃない」と思うんです。「昨日より今日」「今日より明日」のために工夫をしているんですが、仕事は違っても同じ考えを役者・平幹二朗を通して見せていただいたのを感じます。あれだけの経験があるのに、今でもなお苦悩して悩んでいる姿をいせていただいたことは、見習いたいなぁ、と思いましたね。
 
−お二人とも「求道者」ですね。
おかみ:平さんはお芝居を「深化させたい」という言葉をよく使っていらっしゃいました。
あるじ:食べ物も芝居も、新しい物にもとても興味を持っていらっしゃいましたね。何でも試してみよう、というしなやかでピュアな感覚をお持ちでした。だからこそ、最期まで若々しく元気で舞台を演じられたんでしょうね。ただ、まだまだ食べていただきたい物もありましたし、今でも、予約のお電話があるような気がします。
 
−もしかすると、平さんも今、この場でお二人を微笑んで眺めていらっしゃるかもしれませんね。長時間にわたり、ありがとうございました。
 
 



優しい眼差しの「あるじ」だが、平さん同様の「職人」でもある

カウンター越しに交わす平さんの想い出を、隣の席で聴いていたのかもしれない
 

平さんご愛用のワインピッチャー
 美しい藍色の模様が「平さん好み」だったのだろうか
 

平さんご愛用のコーヒーカップ
持ち手がないのを好んだのは平さんのシンプルさだったのかも