幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

小論「平 幹二朗」

 

演劇評論家 中村 義裕

【平幹二朗の魅力―愛称】


 今はないが、昭和の中頃までは、「偽者が出るようになえば役者も一流だ」と言われた。確かに、絵画でも一流の価値を持つからこそ多くの人が自分の物にしたくなり、『贋作』が出回る。さすがに、今はスターの偽者は出ないが、代わりに「短縮形で呼ばれたり、愛称が付けば一流だ」とも言う。
真偽のほどはおくとしても、昭和の多彩な娯楽を彩った森繁久彌の愛称は短縮形の「モリシゲ」だった。他にも、加藤健一を「カトケン」、先ごろ解散したSMAPの木村拓哉の「キムタク」など、略称で呼ばれる人々はなるほど、と頷ける部分がある。女優で言えば「山田五十鈴」は芸名の「鈴」から「ベルさん」などの愛称を持つ。芸能関係者ではなくとも、「平幹二朗」のことを「ヒラミキ」の愛称で呼ぶ人もいるだろう。
 私は、なぜ彼が「平幹二朗」の名で舞台に立つことにしたのかを直接聞いたことはない。本名なのは確かだが、本名を芸名に選んだ理由を聞いていない、ということだ。
 
 したがって、「ヒラミキ」の愛称で呼ばれることを、本人がどう思っていたかも知らない。しかし、愛称ができるほど多くの人に認知されている、という事実の一つの側面を不愉快には思わなかっただろうし、そうしたことには頓着せず、芝居のことしか考えていなかったのではないか、と思う。
 
 さすがに、本人を前にして略称で呼ぶ人はいなかっただろうが、こういう呼び方ができる役者に対する大衆心理については考えてもよいのではないか。いつもにこやかに愛想を振り撒いているタイプの役者ではないが、静かに微笑みを湛えている「ヒラミキ」は、どう思っていたのか、今になっては聴いてみたい気もする。