幹の会と株式会社リリックによるプロデュース公演の輝跡

小論「平 幹二朗」

 

演劇評論家 中村 義裕

【平幹二朗の魅了-空間】


  役者には、個々に適した舞台の大きさがある。「帝国劇場」や「国立劇場」」のような収容人員1,000名を超える大劇場で、客席の隅々まで届くようなスケールの大きな芝居を得意とする役者がいる一方、下北沢の本多劇場や新宿の紀伊国屋ホールなど、300席前後の濃密な劇場空間での芝居を得意とする役者もいる。これらは上演する作品により決まるもので、『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』のような大型ミュージカルを紀伊国屋ホールで上演するのは物理的に不可能だろうし、観たくもない。逆に、加藤健一の一人芝居『審判』を帝国劇場で上演する必要もない。一人芝居の空間の密度が破壊されるからだ。
 
 この点で言えば、平幹二朗は大小さまざまな空間に適応できる能力を持った役者だ。1,000名を超える大劇場から700~800の中劇場、それ以下の小劇場と便宜的に分けた場合、どの劇場にも対応できる「空間把握能力」を持っている。これは、長年の経験によって体得したものに他ならないが、抽象的な感覚でもあり、人により感じ方が違う。結局のところ、どんな空間でも自由自在に芝居ができる、ということだ。役者なら当たり前のことのようだが、実に難しい。舞台の「寸法」に合わせて芝居ができるのも大切な役者の能力だ。
『王女メディア』にしても、毎回、舞台の大きさも客席の数も違う。細かく言えば、最後列までの距離、天井の高さ、音響の響きや残響、そうしたものが全く異なる空間を、制御できるのは立派な能力である。
 
 歌舞伎の世界で主に使われる言葉に、「芸が大きい」という。センチやメートルで測るものではなく、観客の体感的な言葉だ。確かに、間口が18メートルもあろうという舞台で歌舞伎の名優の踊りを観ていた時に、踊っている三人だけで舞台がいっぱいになるような錯覚を覚えたことがある。「大きい」とはこのことを指すのだろうが、平幹二朗もこの「大きさ」を持った役者であった。言うまでもなく、これは体格の問題ではない。「芸容」とも「芸格」とも言うべきものだろう。